この連載では、北米企業がパートナー支援をどうKPI化し、
支援担当がどのように活動し、何がログとして可視化され、
そのデータをどう活用しているかを見てきました。

では、なぜ日本では同様の仕組みがあまり定着していないのでしょうか?
「文化の違い」で片づけるには惜しい、構造的な「見落とし」と「制度的未整備」がそこにはあります。

理由1:支援が「業務」として制度設計されていない

SFAが普及したのは、「営業」という行為が企業にとって不可欠な業務であり、 そこに「記録 → 評価 →改善」の回路が必要と認識されていたからです。

一方で、「支援」は──

  • 担当者の工夫でなんとかしている
  • “気遣い”や“関係性づくり”の延長とみなされがち
  • 形式的に資料を配れば最低限の役割は果たしたことになる

──このように制度的な業務単位として切り出されていないケースが大半です。
そのため、評価項目にもKPIにもならず、“よくやってくれている”で終わってしまう。
これが、PRMや支援ログという仕組みの必要性が可視化されにくい背景にあります。

理由2:支援の成果が“直接数値化されない”という思い込み

「支援しても成果に直結しない」 「結局はパートナー側の営業力次第では?」 ──こうした言葉は、非常に根強く存在しています。
もちろん、支援=即受注とは限りません。
しかし、営業やマーケも、かつてはそう言われていたはずです。

  • メールを送ったら即契約になるわけではない
  • 訪問すれば必ず受注できるわけでもない

それでも、一連の行動が成果に寄与するからこそ、行動ログをKPIとして残すようになりました。
パートナー支援にも同じ視点が必要なのに、そこまで踏み込まれてこなかった。

「効果が見えないからKPI化できない」ではなく、KPI化して初めて効果が見えるようになる──この逆転の発想が、日本ではまだ定着していないのです。

理由3:担当部門が分散しており、責任構造が曖昧

チャネル営業・マーケ・営業推進・カスタマーサクセス・教育部門──
日本の多くの企業では、支援に関わる役割が横断的に分かれており、全体を統括する設計者がいません。

すると、以下のような問題が起きます:

  • 各部門が個別に資料・動画・FAQを作成するが、成果との接続を見ていない
  • パートナー対応の主語が曖昧になり、「誰が育成責任を持つのか」が定まらない
  • 全体最適よりも“自部門がやったこと”だけがログに残る

結果、支援全体の設計も記録もされないまま、“やったかどうか”の感覚論が積み上がっていくのです。

処方箋1:「支援も設計されるべき業務」と定義する

まず必要なのは、支援を“設計すべき業務”と位置づけることです。
そのためには:

  • トレーニングや資料提供を、施策ではなく“プロセス”として整理する
  • 支援行動を「成果に至る前段階の貢献」として数値化する
  • KPI(例:支援消化率)を設定し、対象の明確化・達成状況を追跡する

こうすることで、支援活動は“結果責任のない優しさ”ではなく、業務目標を持つマネジメント対象になります。

処方箋2:「ログ設計」を最初に行う

最初から完璧な分析は必要ありません。
むしろ、「どの支援にログを残すか」だけを決めて、シンプルにPoC(試行)を始めるのがよいでしょう。

例:

  • トレーニング受講履歴(動画再生/完了)
  • 資料閲覧数(閲覧/ダウンロード)
  • FAQ検索(キーワード/未解決率)

これらをどのパートナーが、どの期間に、どれだけ活用したかというシンプルなログとして記録するだけで、 後から「何が使われ、何が使われていないか」を可視化できます。

「やっても意味がなかった支援」「逆に効果のあったコンテンツ」が明確になるのは、それ以降です。

処方箋3:「支援=成長戦略の一部」という思想を伝える

支援は、パートナーのやる気や関係性に頼るものではなく、
“チャネル成果を再現性あるものにする”ための戦略的手段です。
トップパートナーの成功パターンを定義し、
ナーチャリングが必要なパートナーに再現させる。
そのプロセスをログに残し、KPIで改善する。

これは単なるサポートではなく、営業拡大戦略そのものです。
この意識を社内に浸透させることで、
支援は“努力”ではなく、“成果のレバー”として扱われるようになります。

おわりに──「支援は属人的だから仕方ない」は変えられる

営業もかつては属人だった。
マーケティングも、メール配信が“センス”で語られていた時代があった。
でも、ログが整い、KPIが定義され、 仕組みによって再現されるようになった。
支援も、同じ道をたどれるはずです。

必要なのは、「成果は数字でしか語れない」世界に、“支援”という行為を持ち込む覚悟です。