いま、営業やマーケティングの現場では「行動の可視化」が当たり前になっています。

営業活動はSFAで、
顧客管理はCRMで、
見込み顧客へのアプローチはMA(マーケティング・オートメーション)で。

誰が、いつ、誰に、何をしたのか──
ログとして記録され、KPIとして追われ、改善が積み重ねられていく。
記録されるからこそ、改善できる。
これはもはや企業活動の前提条件となっています。

しかし──
パートナー(代理店)支援だけが、例外のまま取り残されているのです。

パートナー支援は「やったつもり」で終わっていないか?

代理店に対して、日々こんな活動を行っている企業は多いはずです。

  • 新製品の資料をメールで送る
  • キャンペーン情報をPDFで共有する
  • トレーニング動画のURLを案内する
  • 営業支援ツールやFAQをリンクで展開する

形式上は、すべて「支援している」状態です。
しかし、それがどこまで届き、活用され、理解されたかについては、どうでしょうか?

  • 資料は本当に開かれたのか?
  • 動画は途中で離脱されていないか?
  • 現場の営業担当まで伝わっているのか?
  • その支援が、商談や受注にどう影響したのか?

──答えられますか?

ほとんどの企業で、これらの情報は記録されていないままなのです。

CRMやMAには「行動ログ」がある。だから改善できる。

CRMが広がった背景には、「営業活動を記録する」文化の浸透がありました。

  • いつ訪問したか
  • どんな課題を聞き出したか
  • 次回のアクションは何か

これらが一元管理されることで、営業部門は属人化から脱し、組織として成果を再現できるようになりました。

MAも同様です。

  • 誰がどのメールを開封したか
  • どのバナーをクリックしたか
  • LPのどこで離脱したか

こうしたデジタル接点がログとして可視化されることで、マーケティング活動も「感覚」ではなく「検証可能な施策」へと進化しました。

では、パートナー支援はどうか?

SFACRMMAも導入済み。
営業もマーケもログは取れている。

──でも、代理店への支援だけは無記録

  • どの代理店が資料を開いたのか、分からない
  • 動画は共有したが、誰がどこまで見たのか、分からない
  • 支援のどれが成果に効いたのか、検証できない

なのに、本部としては「支援した」とみなしており、
現場では「届いていない/分からない/使っていない」が発生している。

これは支援と成果をつなぐ線が、途中で切れている状態です。

なぜ「無記録」なままなのか?──構造的な理由

この「支援が記録されない」現象には、構造的な背景があります。

  1. 行動主体が社外(=代理店)であるため、SFACRMでは追えない
     → SFAは自社営業の行動記録が前提。代理店は外部ユーザーであるため記録されない
  2. MAは見込み顧客向けで、パートナー向けの支援用途には設計されていない
     ナーチャリング用の仕組みで、関係性やロールが異なる
  3. 支援という行為自体が、定義もKPIもあいまいなまま
     属人的に実施され、組織として検証・改善のサイクルが回らない

つまり、「誰も責任を持って追っていない領域」だからこそ、
いつまでも見えないまま・改善されないまま放置されているのです。

PRMは「支援ログ」を可視化するインフラ

PRMPartner Relationship Management)は、
こうした見えない支援をログとして残し、行動との相関を可視化するための仕組みです。

たとえば、PRMを導入すれば──

  • 資料ごとの閲覧ログ(誰が、いつ、どのページまで見たか)
  • 動画の再生率・離脱ポイント
  • トレーニングの完了率と未達者リスト
  • よく使われるFAQ・ツールと成果との相関
  • 支援施策の消化率ランキング

といった情報がダッシュボードで管理できるようになります。

これにより、本部担当者は感覚ではなく、ログで語る支援を設計・改善できるようになります。

何が変わるのか?

  • 成果の出ている代理店の行動パターンを、再現できる
  • 動いていない代理店に何が届いていないのかを特定できる
  • 支援しているつもりを排し、本当に届いたかを確認できる
  • 属人対応をやめ、施策をナレッジとして蓄積できる

つまり、支援がブラックボックスから検証可能な資産へと変わるのです。

おわりに──支援が評価されないのは、「記録されていないから」

CRMが営業の可視化を支え、
MA
がマーケティングの自動化を支えたように、
PRM
はパートナー支援の記録・改善・再現を支えるインフラです。

支援が記録されていないかぎり、
その効果も分からず、やがて「やっても無駄」とみなされます。

でも、それは支援が悪いのではなく、
支援が見えないまま放置されている構造の問題です。

次に変えるべきは、「支援の内容」ではなく、「支援の可視性」かもしれません。